ミュンヘン

 オリンピックの最中に、ミュンヘンオリンピックの時に起きたイスラエル選手団に対するテロとその後の出来事に関する映画を見るのも何の因果かなと思ってしまった。この事件そのものは、オリンピックにまつわる悲しい出来事としか知識がなかったので、報復として暗殺をイスラエルの特殊機関がやっていたことは知らなかった。それでもイスラエルはやられたらやり返すところだというのは、記憶にある事件で知ってはいた。そういった血の応酬がこのドラマの軸となっている。
 国家を持たない流浪の民だったユダヤ人が、約束の地にイスラエルという国家を樹立した。そして、追い出されたパレスチナ人が流浪の民となり、取り戻す手段としてテロ事件を起こす。物語の中盤でギリシャでのPLOやほかの活動家と呉越同舟状態での夜の場面は印象的だった。この夜話をしたパレスチナゲリラを主人公は撃ち殺す。ここでの出来事が、自分たちの任務の遂行にも陰を及ぼしていく。仲間が殺されていき、また自分も殺されるのではという恐怖の中精神を病んでしまう。それでも衝動としてまた悲しみの源泉でもあるように、フラッシュバックとして現れるミュンヘンでの出来事。
 救いのないつらい物語で、一つの事件が起きて報復がされ、その報復にまたテロ事件が起きていくことも語られている。その流れがまだ続いていることも示唆されて終わる。悲しいけれど泣けない映画だった。